0.はじめに
ずっと追い続けた夢を叶えた瞬間はあるだろうか?
本当になりたいと思った夢に努力してきた経験は多くあるが、その夢が果たせないまま終わった経験や挫折となった経験を持つ人が居るだろう。
この記事を書くきっかけとなったのは、夜中に友人Pから届いた一通のメッセージからだ。
「到達しました。」
その後ろには動画がつけられており、アパートの一室でウーキーファウンテン1を上げきったものだった。
ヨーヨーの界隈では、できた技などをSNSに動画で載せて交流をする文化がある。わざわざ個人的なメッセージで送ってくるというパターンは、私自身あまり経験したことがない。
1.酒の場の軽口が発端。
このことが起こった発端は、3年〜4年ほど前にさかのぼる。
当時、私はヨーヨーを初めて数ヶ月〜1年ぐらいであり、SNSで趣味アカウントを作り、交流を深めていた時期である。
当時は、コロナ禍ということもあり、ヨーヨーを始めた人が多く、それなりにSNSでの賑いを見せていた。練習会が中止になることが多く、交流する手段がオンラインでしかなかった。そのためZOOM等を使ってオンラインで練習会をしたり、飲み会をするという文化が広がった。
当時、私は独り身でPといっしょにオンラインでお酒を飲む機会があった。どういう話のくだりだったかは覚えていないが、
「Pニキ2が、ウーキー上げたらうまい酒おくりますわ〜!」
と言った覚えがある。
Pは、ヨーヨーに復帰し、自身が取り組んでいた2Aの練習をしていた。ラップ系トリックはあまり得意としていなかった。私もヨーヨーを初めて数ヶ月ほどであったが、「ウーキーファウンテンが難しい技である」ということは知っていた。
付け加えておくと、決して、彼にウーキーファウンテンを上げることはできないと思っていたわけではない。だとしたら、もっと自分にとってペナルティとなることを課している。祝辞の意味でお酒を送ると言っている。
そして、今回ほぼ3年越しに、そのお祝いができるとなった。とてもめでたく、嬉しい。
というのも、Pは、私がヨーヨーを通じた友人の中でも一番古い付き合いのある友人の一人だからだ。
2.社会人が趣味で新しい技能を習得する難しさ。
私もそうだが、社会人になって10年近くたつと、自分の時間を確保する難しさが出てくる。
当然、肉体や感覚の衰えも出てきて、今までのように新しい技能を習得することが難しくなる。
更にPは、競技ヨーヨーの大会にも出場するようになったので、新技ばかり練習するわけにもいかなくなる。既存の技の成功率を上げる、フリースタイルの構成を作る、組み合わせを買えた技の練習などなどやることはたくさんあったことだろう。
それに加えて、というより、それらが日常生活に加わったらもう新技どころではない。ましてや、1年365日がすべて順調という日はない。家族と過ごす時間、働く時間、近所との付き合い、自分の親戚との付き合い、行事もたくさんあり、メンタルが一定に保たれる日はなかなか少ないのではないだろうか。
私自身の話をすると、新しい技を覚えるのが苦手である。動画を見ながら一手一手確認しながら、行うあの動作が苦手である。
再現性の低い遊びであるヨーヨーにおいて成功しないことが多く、勘違いしたまますすめていき、最後に詰まる。慣れた頃にはその手癖をなおすことすら億劫になる。3私にとって新しい技を覚えるのは、メンタルと時間とやりたい技が合致したときなので、一年に数回程度しかない。
2Aは更に、再現性が低くなる。常にヨーヨーをベストのタイミングで動かし続けながら別の動きを行う。もちろん、技能の習得段階では一気にするわけではなく、片手ずつというのが鉄板である。2Aインストラクターのタカミユウキ氏の動画でもそう説明している。4
3.やりだしたら、案外早くできるものだ。
先ほど、私自身が、新しい技を覚えるのが苦手という話をしたが、新しい技を覚えようという気になって、動画や人から教えてもらって着手するのが苦手ということである。いわば、ものぐさなのだ。やり始めてしまえば、構造を理解するところまではすぐに到達する。これは、昨今のチュートリアル動画は親切丁寧な設計になっている恩恵だろう。
最大手の一つ、REWINDのチュートリアル動画は、ビジュアルだけでなく、言語としてポイントを掴ませ、より多くの初学者に向けての親切丁寧な作りとなっている。撮影、編集の甘さだけではなく、ヨーヨーのティーチングという経験値や、技に対する解像度、技能レベルに応じた視点を考えて作られている。もしかしたら学問的に技能を習得するまでのことを学んでいるのかもしれない。最大手ならではの広い人に向けた動画づくりだ。他のチュートリアル、トリック動画制作者も、より高度な技であっても、向かい合う視点だけでなく様々な視点から撮影されたものやスロー再生などを駆使して、大手では扱わないような多くの技を多くの人に習得し易いように制作されている。
なので、やりだしたら案外早くできるものだ。ただそこに向けられるエネルギーを貯めることが本当に難しい。なかなかたまらない。私の預金口座のようだ。ただ、振っているだけで楽しい趣味なのだから、新しい技をそこまで本気になって覚えなくて良いのだ。趣味とは本来そういうものなのだ。
友人Pなんかも、6月頃にはラップ動画を本格的に投稿し始め、9月にやっとファウンテンが上がった。3ヶ月もかかっているといえばそれまでなのだが、本腰を入れてやり始めると事態が好転し今回の成功につながったと考えている。そもそも2Aの技は本当に難しい。習得に年単位という印象を持っている。故に、私は2Aの技をやり続ける人間を尊敬しているし応援している。
4.厳しさは優しさの一端であり、全てではない。
技が成功した。というのは、もちろん成功基準を満たしているいう意味である。ヨーヨーのトリックの最も基本的な基準は、「ヨーヨーが自身の回転で糸を巻き取っているか。」である。JYYFの基準で言うならば、6cmまでであれば成功といえる。
高度な技になればなるほど、基準が厳格化していく。スムーズではない。乗せるべきところに乗っていない。形が違う。趣味であれば特に問題ないことではあるが、友人Pはコンテスタントでもある。同じ部門の仲間たちからは当然厳しい目が向けられる。厳しいと言っても非難されるわけではない。私のような趣味でやっている人間とは見ているポイントが違うのだ。技がなんとかできるではなく、よりコンスタントに出せる技にしていくためには、美しさが必要だ、余裕が必要だ。競技という戦いの場ではそういう部分が要求される。この部分をごまかすことなく、相手に伝えることは決して厳しいだけでなく、同士に対する優しさでもあると私は感じている
もちろん、2Aという難しい部門をここまで続けているPである。「なんとかあがった。」では満足しないだろう。なんなら、「こんちくしょー!」と練習を重ねるに違いない。ただ、イチロー氏も以前日米通算4000本安打達成のときのインタビューで「小さな満足を重ねる」と話している5。山登りも◯号目という目標があるように、区切りで満足しまた次の挑戦に向けていく。感覚を掴み、厳しいながらも優しいコメントを受け、彼はきっと余裕でファウンテンを上げることだろう。
5.本当の成功体験は、メンタルを一段階上げる。
年単位でできるようになりたかった技ができるようになった彼は、私生活でも良いことが起こったそうだ。何かと社会の荒波に揉まれ、心が荒むことが多い彼であり、肉体的にもピンチを迎えたことがあった。そんな彼がうまくいったことがあったと話すことはまあ少ない。それだけ珍しい出来事だ。
人間はもともと持つポテンシャルに対して、メンタルが作用し、発揮できるパフォーマンスが決定するものと思っている。例えば、とても能力が高い人間が、前日の夜に最愛の妻を失ってしまったとする。翌日に切り替えて自分の最高のパフォーマンスを発揮できるだろうか? おそらくどんな人間であってもできないであろう。多少技術でごまかすことはできても本来持つ力を発揮できないと考えられる。
おそらくウーキーファウンテンが上がった翌日は、自信の現れがあったのだろう。もちろん、今までこなしてきた準備が実を結んだこともある。積年の夢を果たすことで、私生活も好転するそんな一例を見た気がする。
6.おわりに
ヨーヨーを始めて4年になり、新しい友だちもだんだん増えてきた。そんな友人たちが掲げた夢を叶えたり、大会で成績を残したり、界隈の発展に関与するようになったりと嬉しい報告が多くなった。
おそらくヨーヨーの先輩方もそういった経験を積み重ねて今日に至っているのだと思う。もちろん、苦しい経験もあっただろう。決して平らな道ではなかったけれど、今こうして同じような幸福を得られていることは、先人が築いてきた努力に敬意を表したい。
Pニキ、本当におめでとう。今度は、そっちに行って眼の前でも見せてくださいね。
そしたら、酒屋に行って良い酒でもこしらえてこようか。
- 2Aにおけるラップ系の技の名称。片手でホップしながら、別のヨーヨーのストリングを腕にかけて回しながら上げていく技。2Aの技において一つの登竜門と認識している。2024CJでジュニアの選手であるタケナガユヅキ選手が、フリースタイルの最後にウーキーファウンテンを上げきった。本人の父親がSNSで武器を変える旨を発信していた。ラップ系トリックは競技ヨーヨーにおける一つの入口となっているための発言と考えられる。 ↩︎
- 名前のPに、アニキのニキをつけて、普段から親しみを込めてPニキと呼んでいる。〇〇ニキというのは一種のネットスラングでもあったが、ワンピースの中で、チョッパーのアニキでチョニキと呼ぶシーンから割と一般的になったのかと思っている。ちなみに、学年は1つしか違わないが、生まれ年は同じである。たった数ヶ月の差でニキになるのも面白い世界だ。 ↩︎
- その違った手癖が集団で起こると独特の文化となり、考察対象になり、その人の味となるのだが、なかなかそう思えないのはもはや性分である。 ↩︎
- 本人のyoutubeチャンネルの動画にて説明されている。こちら タカミ氏は技のコツを洗い出す為に、利き手でない方で習得することを行った。「利き手をお手本に」というワードは、両手で習得したからこそ説得力が増す発言と思う。 ↩︎
- インタビュー動画を発見することができなかったが、そのインタビューを扱ったnoteはこちら。 ↩︎
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